七十二候: ? 蟄虫坏戸 <むしかくれてとをふさぐ> (9月28日〜10月2日)
ずっと七十二候を書き続けていると、あることに気付いた。
春分の頃に「蟄虫啓戸」「雷乃発声」「玄鳥至」があり、
秋分の彼岸入りから「玄鳥去」「雷乃収声」「蟄虫坏戸」と続き、対をなしている。
季節は繰り返す・・・ですね。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
娘が出産を終えて孫と一緒に家に来てからまもなく3週間が経とうとしている。
このばあやは手伝いやお世話に大忙しのことだろうと、かなり気合いが入っていた。
ところが・・・ところが・・・だった。
あまりすることがなかったのだ。
新生児ってこんなによく寝ていたかなあ・・・と思うほど、ずっと寝ている。
起きるのは3時間おきの授乳の時だけ。
おむつ替えて、おっぱいあげて、は母親の仕事。
1日1回の沐浴も、病院で習ってきた手順通りに母親がやる。
それはこれから毎日母親がするものだから慣れなくちゃね、
と任せておいたら、私の仕事がほとんどないのだ。
あれ?こんなんだったかなあ?と自分の初産の時を思い出していた。
当時は布おむつだった。あれを洗うのが大変だった。
ところが今は完璧な紙おむつ。1枚15円ほどなんだって。
遠慮なくバンバン使って、ポイポイ専用のごみ箱へ。楽になったよね。
おまけに母乳がよく出るようで、ぐずりだしたらペッとおっぱいを含ませる。
そして、あげているうちにいつの間にか寝てしまっている。
ばあやの手伝う場面はほとんどない。
じゃあ、少しは「おばあちゃんの知恵袋」的なアドバイスを、と思って、
風呂上がりのベビーパウダー、湯冷まし、赤ちゃんは泣くのが仕事、抱き癖・・・
などなど、昔から言われている智恵的なものを授けようと口に出しても、
すぐにスマホでネット検索して、「今の子育て法は昔と違う!」と論破されてしまう。
まったく役に立たず!
ただ寝顔を眺めているだけだったような2週間。
この気分、我が子の時とはずいぶん違うなあと、妙な違和感で過ごした。
何が違うのかって、「責任感」が違うんだろうなあ・・・思いっきり外野の気分。
抱っこして、あら可愛い!と眺めているだけ。
泣けば、ハイお母さん登場!とバトンタッチしておしまい。
手こずって困った感が全くなかった。
それよりも私は新生児の日々の変化をとくと観察させてもらった。
全ての動物の中で一番か細い生き物なんだろうなって痛感した。
完全無防衛で、この世に産声を上げて出てきても、一人では絶対に生きていけない。
完全庇護の下に少しずつ少しずつ成長していくヒトの赤ちゃん。
最初はサルのようだと言われればその通りで、どんな顔姿になっていくのか想像できなかったが、
週を追うごとに膨らみが増し、時折見せるほこ〜っとした顔、きょとんとした顔。
何考えているのかなあ?何を感じているのかなあ?と
少しずつ動物の本能的なものから、人らしさが垣間見えてきた。
そんな微妙な変化に一喜一憂している周囲の大人たちの姿もまた面白い。
ずいぶん育てやすい子のように思う。
女の子だからかもしれないが、カンがきつくなさそうだ。
母親がキリキリしていないのが、ばあやとしては安心だ。
「ゆったりと楽しんで子育てしてほしい」
願うのは、この一点だけ。
湯上がりに、私の足湯用のバケツを代用。
私が準備したものが唯一役立ってる〜!(大笑)